中山道 歩き旅

 2012年 9月上旬 安中 〜 松井田 〜 横川駅




 今回、歩いた道のりです。安中駅前 から 横川駅前まで
 地図をクリックすると別画面で拡大します。

 歩行距離 : 約18Km(実際には20Kmぐらい歩いている)
 歩   数 : 31087歩

 1年と4か月ぶりの中山道歩き旅です。
 暑い夏も終わり朝夕が涼しくなってきたら、ふと、「歩き旅」を思い立った。
 実はまだ、日中は暑いのだけど出掛けてしまった。

 

 前回の終点、安中駅をスタート。

 中山道は、安中駅前を北へ100mほど行ったところですが
 すぐに橋を渡らなければならなかったりするので
 ここは、旧街道にこだわらないこととした。

 駅前の立体化された車道のわけのわからなくなった歩道を歩いて
 碓井川にかかる大きな橋に出る。

 中山道は、この橋の右側の河原を渡ったらしい。

 橋を渡った先の国道にかかる歩道橋の上から

 右が国道18号線
 左が中山道で
 この先が安中宿



  安 中 宿 
 

 

 上の絵は、今回の最後の方で紹介する「五料の茶屋本陣」でいただいた
 パンフレットからスキャンした安中宿の絵。

 2本の川で挟まれた部分に、現代の安中駅があります。

 安中宿です。

 まっすぐな街道の両側に
 いろんな商いのお店が並んでいて
 宿場町の雰囲気を残しています。
 




 ちょっと古そうな建物を2軒。

 左は、「質屋」さん。今なら銀行。 右は、「薬屋」さん。今なら病院。
 名前が「さかうえ薬局」
 そう言われてみれば、坂(たいした上りではないけど)を上りきったところだ。

 こちらは、「お醤油屋」さん。
 真ん中の建物は新しい雰囲気ですが
 両脇と奥は、立派な蔵造りでした。

 こちらのお醤油も丹精込めて作られているようでおいしそうです。

 まだ安中宿の中だというのに
 この時点で汗びっしょりになっている。
 
   


 同支社大学を設立した新島襄は安中出身です。

 そんな、新島襄旧宅が安中にある。折角なので立ち寄ってみた。

 中山道から案内の矢印に従って、左に折れて、右に折れて、左に折れて、右に折れた先にあった。
 中山道からすぐだと思ったら結構入り組んだ先だった。

 二軒長屋の右側が旧宅で、左側は資料部屋になっていました。
 あまり広くない場所にあったらしく100mほど西に移設したらしい。

 旧宅といっても、実際は、江戸の末期に安中藩江戸屋敷に生まれて安中藩士となり
 渡米(密航)し幕末後日本に帰ってきた。
 幕末後に両親が安中のこの家に住んでおり、帰国後、安中に3週間程度滞在していたらしい。
 その後も安中に何回か来ていたようだが、生活していたわけではないので、旧宅と言うのは ・・ なんとも ・・
 でも、安中藩出身なのだから郷土の偉人なのだろう。

 ちなみに、こちらの見学は無料でした。
 管理人のおじさんが庭を掃除しながら簡単な説明をしてくれました。
 帰りに「中山道ですか」と聞かれて、「そうです」と答えたのですが
 こちらには、中山道を歩いている途中で立ち寄る人は珍しくないようです。




 安中宿を過ぎて国道18号線を渡った先の杉並木です。
 群馬県には上毛カルタというのがあって「中山道しのぶ安中杉並木」と歌われています。

 一時は、車の排ガスでほとんど朽ち果ててしまったのですが、何本か昔からの杉が残っていて
 新たに植えられた杉もが大きくなり杉並木の様相が戻っています。

 そんな杉並木の途中で見えた貯水タンクに描かれた毎年5月に開催される「安政遠足 侍マラソン」の絵。
 この中山道を安中から碓氷峠を登って熊野神社まで役30kmを走るマラソンです。
 普通に走るだけでもすごいのですが、ほとんどの方々が仮装して走ります。
 日本のマラソンの発祥と言っています。

 今回の歩き旅をはじめた時に、安中宿から熊野神社までの区間は
 マラソンに参加して踏破しようと考えたこともあったのですが
 ネタとしてはおもしろいのですが、そんな簡単ではないですね。
 やめました。

 ちなみに、走ることしか考えていない家の犬(妻ともいう)は
 今年、熊野神社まで走ったようです。
 なにに仮装していたのかは知らない。

 安中宿と松井田宿の間にある原市あたり。

 奇妙な山は、「妙義山」です。
 遠くから見ても険しそうな山なのが解りますよね。
 小学生のころに鉄の鎖を伝って登った記憶があります。
 


 

 緩いカーブを描きながら街道は西へと延びています。
 この辺は、古い大きな家もけっこう残っていて、街道の面影を残していると思います。


 松井田宿に入る手前
 崖の上を通る街道からの景色。

 日本橋からスタートした中山道も
 いつの間にか山に入ってしまいました。
 

 

 こちらは、「五料の茶屋本陣」でいただいたパンフレットからスキャンした松井田宿の絵。

 松井田宿の手前の街道に「|||||||」と記されてあるところに
 「江戸より 是まで 平地」 と書いてある。

 これからは、中山道も上り下りの山道になるということである。
 ということは、今までのようには歩けないということ
 私は、本当に京都まで行くのだろうか?

 希望ではあるが、目的ではない。 ということにしておこう。


 

 松井田宿

 真っ直ぐな街道沿いに家々が立ち並んでいます。
 古い家もちらほら。昔はさぞかし賑やかな宿場だったような気がします。

 松井田宿に入る手前でコンビニと定食屋にレストランがあったが
 宿の中になにかあるだろうと思ったのが間違いだった。

 あったのは寿司屋に焼肉屋。
 なぜか、空腹も感じないので酒屋の自販機でビールと水を買ってすごした。
 ビールは、写真を撮る間もなく一気飲み。

 松井田宿の真ん中あたりにあった

 休憩所

 座ったところがが汗で跡が残っている。


 松井田宿を過ぎ
 国道18号を渡って反対側の側道に入る。
 上を通っているのは、上信越自動車道。

 「五料」という地区に入ります。



 

 五料の茶屋本陣

 左上の写真は、街道から茶屋本陣へ入る角にあった看板。
 「安中藩 板倉伊像守領分 五料村 高札場跡」と書いてある。
 高札場(こうさつば)とは、法度や掟書などを掲げた場所ですって
 今で言えば、掲示板ですかね。

 そんな角を曲がって踏切の奥にあるのが「五料の茶屋本陣」
 以前から「茶屋・・」っていうなにかがあるのは知っていましたが
 立ち寄るのは初めてです。

 そもそも、街道歩きで知識を得る前は「茶屋・・」なんて
 観光客相手の休憩所かと思っていたぐらいです。

 折角なので、疲れていたこともあり入ってみることに
 「お西」と「お東」という2軒の建物があり、「お西」側に入口(受付)がありました。
 入館料は、210円です。

 受付のおねえさん(そんなに若くはない)
 茶屋本陣について丁寧に説明してくれました。

 かなり丁寧な説明で
 おまけに「旧道日和」なんていうパンフをいただいちゃって
 これが、高崎から碓氷峠までの街道について詳しく書いてある
 なかなか良い資料です。
 これで210円では申し訳ないです。


 こちらでも、「中山道歩きですか」って聞かれたました。 意外と歩いている人、多いみたいです。


 

 お座敷で休憩。誰もいないことをいいことに横になってのんびりしちゃいました。




 こちらは「お東」。ほとんど同じ造りの2軒ですが、「お西」が本家だそうです。
 「茶屋」としてのお仕事は1年交代で担当していたようです。
 一軒で担当するのは大変だったのでしょうね。
 「お西」のほうがきれいですが、当時の雰囲気は「お東」のほうが近いかもしれない。


 

 上の写真は、「お東」の土間から室内を撮った写真と土間内の馬屋です。

 茶屋本陣といっても生業は農業。馬がいて、2階ではおカイコ(蚕)を飼っていたはず
 思わず、子供の頃に近所の農家で嗅いだ匂いを思い出した。
 そう、私の家の近所にもこんな大きな家があった。
 あのころは、こんな家が、大きいけど、いろんな匂いと薄暗さと冬の寒さで良いとは思わなかった。
 今は、リホームによっては豪邸になるなと思う。


 

 「茶屋」を出て街道に戻り西へ進むとちょっとした小山を登る。
 石仏があったが良く見なかった。
 上りきると今度は下り。けっこう長い下りで足への負担が大きい。
 ごらんのとおりただの田舎道。京都へ続く中山道とは思えません。

 そんな田舎道を抜けきったところで
 国道18号を縫うように歩き
 見えた景色。

 完全に山に入ってしまいました。
 

 国道を渡り、線路を渡って緩い直線の上り坂の先が横川です。

 ところが、線路を渡ったところで急に「めまい」を感じた。
 500mほど先には人家もあって日陰もあるけど、そこまで持ちそうもない。
 鉄道施設の機器の日陰に入ってみたが、アスファルトの地面が暑い。
 やばい、横になることもできない。

 ふと、目に入ったのが山側から流れ出ている水。飲むのはあやしいが
 頭にかぶるのは気にならないだろうと頭を水で冷やしたら少し楽になった。


 

 なんとか辿り着いた横川。
 途中、ふくらはぎに筋肉痛まで感じていた。完全に軽症ではあるが熱中症である。
 家並に入ったら自販機があった。とりあえずレモン系の炭酸飲料を買って路肩に座り込む。
 一息したのもつかの間。  突然襲い掛かる「こむら返り」
 あまりの激痛に声も出ない。

 やっと治まったところで追加のスポーツドリンクを求めて片足引きづりながら自販機へ
 今度は、路肩に横になって休憩。たぶん、30分ぐらい横になっていたと思う。
 時々通過する車があって、もし「どうしました?」と声をかけてくれたら
 迷わずに「横川の駅まで乗せてください。」と頼もうと思っていたが
 誰も声をかけてくれなかった。

 そんな横川の駅まで歩く

 「峠の釜めし」のオレンジの看板が
 駅前なのだが

 やたらと遠く感じた。
 


 

 横 川 駅

 なんとか辿り着いた横川駅。時間は、16時40分。
 数分前に電車が出たばかり。そういえば必至に歩いているときに電車が通って行ったような気がした。
 次の電車まで約45分。アイスクリーム食べて待ちました。

 さて、この先を進むとなると次は「碓井峠越え」。 さ て 〜  どうしたものか。。。。。

 

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