中山道 歩き旅

 2010年5月上旬 鴻巣 〜 熊谷

 今回、歩いた道のりです。

 高崎線の鴻巣駅前から
 吹上駅を過ぎた所で荒川の土手を歩いて熊谷まで

 歩行距離 : 約15Km

 歩  数 : 24665歩

 今回も、ちょっとガンバッテみました。

 地図をクリックすると(ちょっと)拡大します。

 忘れ物です。

 新幹線で熊谷駅まで行き、高崎線に乗換えて鴻巣駅へと向かおうとしたところで携帯電話を忘れたことに気付いた。
 なくても困らないと思うが、こんな時に限って急な知らせがあったりするかもしれない。
 携帯取りにもどり出直し。 携帯がなかった頃は、こんなこと気にしなかったに・・・

 結局、1日過ぎてみれば携帯はいらなかったのですがね。

 歩き旅用に購入したグッズ

 そろそろ暑さがこたえる時期になってきたので
 今後のことを考えてこんな帽子を買いました。

 これから
 いろんなところで活用しそうな気がします。

 

 鴻巣駅で降りて、前回まで歩いた駅前十字路へ移動。ここから本日の歩き旅スタートです。
 万歩計の写真を撮って、後で歩数計算します。


 

 鴻巣の街中の歩道には、点々とコウノトリのタイルが張られていました。
 でも、くちばしの袋がなかったらツルですかね。むずかしいですね。

 古い家 です。 すばらしいですね。
 街道沿いを歩いていると、時々目にしますし、なるべく写真も撮ってこのHPにも掲載してきましたが
 3軒が連なっているのは珍しいです。住んでおられるようですし、状態がすごくいいです。
 
 最近、建てたと思われる中山道の「道しるべ」がありました。

 ちょうど道が分かれた追分のところで、左にすすめと案内しています。
 熊谷宿へ三里三十二町(約15km)、京三条大橋へ百二十三里六町(約484km)

 だそうです。  ”484km” で す か 〜 遠 い な ぁ

 (私は、京都まで歩く気はありません。)

 

 こちらは、昔の「道しるべ」のようです。

 半分に割れてしまっていますが、綺麗に並べられていました。
 「右 ○○、左○○」と彫られているようですが
 かすれていてよくわかりませんでした。

 というか、真剣に解読する気がしなかった。


 箕田というところにあった中山道の案内版です。

 江戸時代の箕田周辺の絵図が掲げられていました。
 街道沿いに家が並び、松などの木々が見えます。

 歩いていると、こんな案内板などが時々目に入ります。
 でも、これって歩いていないと気付きません。
 さあ、みなさん「歩きましょう」 ってか


 
 一里塚跡 発見

 街道沿いの車庫の片隅に一里塚跡の案内がありました。

 周りを見回しましたが、それらしい痕跡は見当たりません。
 この案内自体、見落とすような存在でした。



 「昼食」 特に名物もないようで、入りたくなるようなお店もなく

 吹上駅前のコンビニで「お弁当、から揚げ、ビール」を購入したのですが
 駅前には食事をするのに適当な所がなく、しかたなく街道を先に進んで
 小さな公園の片隅でお食事。

 昼日中からいい大人が公園でお弁当にビール
 通りすがりのオバサンが変な目で見て行きました。


 狭い路地を歩いて行くと荒川の土手に突き当たります。

 荒川土手に上がるところに書かれていた真新しい案内

 土手に新たな道を作っていたので
 間違えないよにどなたかが書いてくれたようです。



 街道歩きに当たっては、事前に旧街道を現在の地図にトレースして下調べしています。
 いままでは、それなりの道があったのですが、吹上〜熊谷間は人家のない土手です。
 街中を歩くのと違って、ハイキング状態になれそうなので
 とっても楽しみにしていた区間でしたが
 


 写真で見てのとおり何にもありません。
 時々、電車の音が聞こえるのと、近くでやたらと鳥の声が聞こえるだけ。

 最初は舗装された道だったのですが、途中からバラス道に
 これが、やたらと歩きづらくて疲れる。

 写真で見ると気持ち良さそうな道に見えますが、実際に歩いてみるととっても単調。
 街中を歩くほうが楽しいです。 ただ ただ 歩いて やっと熊谷駅にたどり着きました。

 土手を下りてから熊谷宿内までの道が分かり難い。ちょっと誤ったみたいです。
 ここは、もっと拡大した地図を用意すべきだった。(反省)

 距離を歩いたわりにはネタがない。これから先は、こんな感じなのかなぁ。
 

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