中山道 歩き旅

 2009年12月上旬 巣鴨 〜 板橋 〜 戸田

 今回、歩いた道のりです。

 巣鴨から荒川を渡って埼玉県の戸田まで


 地図をクリックすると(ちょっと)拡大します。


 歩行距離 : 約10Km

 歩  数 : 16373歩



 お年寄りの原宿 巣鴨

 前回のつづきなので巣鴨駅前からスタートとなります。
 巣鴨は、仕事で何度か来たこともありますし、隣の大塚駅に住んでいたこともあり見慣れた街です。
 ただ、ここはお年寄りのたまり場なので好き好んで来ませんでした。
 特に「四」の付く日は、普段以上にお年寄りが集まるのでなるべく避けたいものです。

 巣鴨駅前の国道を北へちょっと進み左手に見えるのが

 「巣鴨地蔵通商店街」

 面白そうなお店があるのですが、お年寄りばかりです。
 見聞のために入ろうかと思っていたのですが
 とてもそんな勇気はありませんでした。

 

 商店街が中山道の街道だったようです。
 この先も、国道はバイパスになったりで昔の街道から外れているところがあります。
 外れているほうが多いかもしれない。
 実は、なるべく旧街道を歩きたいので道を見極めるための下調べでよく地図とにらめっこしています。

 地蔵通りを過ぎたあたりで
 都電の踏み切りを渡りました。

 なかなかレトロな車体ですね。
 みんな、こんなレトロではなく
 たまたま、レトロな車体だったようです。
 時々、目にはしているのですが
 乗ったことはありません。
 一度乗ってみるのもいいかもしれない。  

 地蔵通商店街は終わっていると思うのですが、その後も商店街が続いています。

 街道から外れるのは、なかなか前に進めないので避けたいのですが
 街道からちょっと外れて、埼京線の板橋駅に立ち寄ってみました。
 ここは、ちょっと興味のあるところです。

 新撰組隊長近藤 勇のお墓です。

 板橋駅前にあります。
 この辺りの刑場で斬首され
 胴体が埋められた場所だそうです。
 なお、首は京都に送られています。

 この一角だけ
 駅前とは思えない静けさがありました。

 このあたりから板橋宿に入ったようです。
 知合いが何人か住んでいますが、来たのは初めてです。

 国道17号線を斜めに横切ります。

 上は首都高ですね。
 上の首都高は何度も通っていますが
 下がこんな庶民的な街並だったなんて
 考えたことなかったですね。



 国道を横切って板橋の商店街が続きます。

 中山道にまつわるお寺や、中山道に関する案内板なんかもありましたが
 あまり気にせずに現在の雰囲気を楽しんで歩いてみました。
 なかなか、生活感のある街です。

 右下の写真が「板橋」の名の由来となった橋です。
 当然、今はコンクリート製ですが、欄干の色、形は板のようにしてあります。
 橋の袂の標柱には「距日本橋二里二五町三三間」(10.642km)と書かれてありました。



 板橋の商店街を過ぎてから国道17号線にもどりました。たいして感動するものもなく黙々と歩きます。
 歩いている人なんかほとんどいません。これから先はこんな時間が多くなるのでしょうね。

 昼食に食べた牛丼です。

 食事に時間をかけたくないのでこういうのがベストですね。

 ちょっと、左奥の黄色い液体が気になりますね。
 これが、いけなかった。
 食後は、だるい、足が重いの状態となってしまいました。


 今回の歩き旅では、食事にはあまりこだわらないことにしています。
 宿ごとにおいしいものもあるようなのですが、歩いてお店を探すのは大変です。
 食事は、”ねた”になりそうなものだけ書き込みます。

 木が生い茂っているのが「志村一里塚」です。
 日本橋から数えて3つ目の一里塚です。

 街道の両側に土盛(塚)を作って
 木を植えてあったそうですが
 このように残しているのは
 めずらしいようです。



 やっと、荒川にたどり着きました。この橋を渡ると埼玉県に入ります。

 昔は渡し舟で渡っていたようです。渡し舟場跡の碑がどこかにあるらしいのですが
 この広い河原を見ただけで探す気がなくなりました。

 河原で宴会をやっているグループが見えます。どうも、あそこに住んでいる方々のようです。
 生活、大変なんだろうけど  幸せそうだなぁ これが。



 荒川を渡って埼玉県戸田市 今回は、ここまで
 左に曲がると戸田公園駅まで700m弱の看板を見たら「今日はここまで」と思ってしまいました。

 次回は、来年ですね。
 

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